ほんとく日記

「教科書」と「学校」

たまに学校で「習った」ことは役に立たないと聞きます。

その通り。

しかし、その反対に学校で「学んだ」ことは大いに役立ちます。

違いは、自分から学ぼうとする積極的意欲。

 

学問は自分からするものであって、誰かから教えてもらうものではないのでしょう。

北京留学中、毎回師匠は治療を終えると、その日の治療や普段疑問に思っていることについて何か質問はないかと時間を割いて下さいました。

―学問は「学」と「問」の両輪である―

学ぶことで疑問が生まれ、その疑問を自分で考え師匠にぶつけることでまた新たな学びが生まれる。弟子には学んだことを昇華する責任があり、師匠にも弟子に対して真摯に答える責任がある。これが師弟関係だと常々説かれました。

 

正確には「役に立たない」ではなく「足りない」ではないでしょうか。

教科書の内容を役に立たせるかは自分次第。

教科書を創ったのは素人ではなく、選ばれし者です。

学校では幹を育み、社会で枝葉を付ける。

 

「独出心裁」もよし、「一般的方法」もよし。

 

当院は教科書の内容を昇華することを重視しています。

それは

滞りを通じさせ、

冷えていれば温め、

熱があれば冷まし、

実していれば取り除き(うつし)、

虚していれば補う。         です。

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