ほんとく日記

肯定現象、掌握規律、提高効果、闡明本質

張縉先生

著名鍼灸学専家。

 

以下『中国百年百名中医臨床家叢書 張縉』 王順主編 中国中医薬出版社

より先生の紹介を抜粋します。(敬称略)

 

1930年遼寧省生まれ。中国鍼灸学会資深常務理事・中国鍼灸学会鍼法灸法分会主任委員・東北鍼灸経絡研究会会長・中国国際鍼灸考試委員会委員等を歴任。107名の鍼灸修士、13名の博士指導教員。論文103篇、鍼灸専書7部の編著校釈。遼寧中医薬大学・福建泉州華僑大学・安徽中医学院・甘粛中医学院・遼寧省中医研究員・光明中医学院顧問。1951年中国医科大学卒業、東北軍区後勤部衛生第26後方医院に勤務し、外科医師として戦傷人の治療に携わる。1956年に黒竜江省祖国医薬研究所の鍼灸経絡研究室に配属される。1957年に「右派」として、1966年には「十年動乱」により再び農工・薬工として下放され、1970年には水暖工・バス修理工・油工・瓦工・力工事等に従事させられる。1985年に黒竜江省祖国医学研究所が黒竜江省研究員となった際の初代院長となる。1963年に『鍼灸大成』の校釈が「国家医学科学研究十所規画課題」として認定され、20年に渡る苦労の末、100万字を超える巨著が1984年に人民衛生出版社より出版される。校勘610ヵ所、注釈は2999ヵ所に及び、1989年・1992年に国家中医薬管理局中医薬科技進歩二等賞と国家新聞出版総署全国古籍整理研究三等賞を得る。他には『鍼法六集』(校点本)等がある。教育事業に関しては、1956年に黒竜江省第一期鍼灸師資班を開設し、黒竜江省中医研究院に衛生部鍼灸経絡進修教育基地を建立し、全国で初めて二年制の鍼灸研究班を創る。研究方面では1977年にそれまでに通用していた『鍼灸学』を「中国鍼灸医学史」「経絡学」「腧穴学」「腧穴配方学」「刺灸学」「鍼灸治療学」「実験鍼灸学」「鍼刺麻酔学」「各家鍼灸学説」「古典鍼灸医籍選講」等十過程にする、新たな学術分科方案を初めて提出した。更に北薬開発事業にも尽力し、黒竜江省は豊富な薬材資源を有し開発利用できると考え、朱有昌研究員と連合で7000言の北薬開発建議書を提出し、「北薬」という新概念を提議し、薬材を煤・粮・木・油に次ぐ新たな支柱産業として打ち立てた。

 

オリエント中国研修では4回講義され(初登場は上海開催回)、「補瀉は“治則”である」と説かれ、愛媛の越智昭博先生と感銘を受けたのを覚えています。

中国鍼灸界で「人間国宝」に相当する4名の1人です(程莘農・郭誠傑・賀普仁・張縉)。

1988年には来日し名古屋で講演しています。

中国の鍼灸「規範化」事業において毫鍼基本刺法の国家標準を担当されています。

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