ほんとく日記

善待病人

于書荘先生

当代著名鍼灸家。

 

以下『北京鍼灸名家叢書 鍼壇名師 于書庄』 于振中主編 中国中医薬出版社

より先生の紹介を抜粋します。(敬称略)

 

1924年河北省安次県生まれ。鍼薬を併用した治療で名を馳せた父の影響で医学を志し、18歳で北京へ。薬局で働く中、患者が持ってくる数多くの処方箋の名前が近くで開院していた馮済卿(太医院医士)だったことから、衛生局の開業試験に合格し、1951年に北京で婦人科を主として開業し、1959年に正式に馮済卿の弟子となる。さらに理想を求めて著名鍼灸名家の張文祥に弟子入りする。1953年からは北京市中医進修学校にて教壇に立ち、同時期に在校した施今墨・肖龍発の弟子である趙錫武にも教えを乞う。1968~1988年まで北京中医医院鍼灸科で経絡研究や治療に携わる。2009年86歳没。

 

この書籍には自分の問診が不十分だったという症例等も書かれています。自分の言動や治療を真摯に振り返り審証求因する姿勢に感服です。

また「弁経」について書かれている鍼灸書も少ないのではないでしょうか。

 

中医医院の系譜図には張如心先生の師匠として列記されていますが、中医医院に在院したのは張如心先生の方が早く、年齢は于書庄先生の方が年上だったので、実際は先輩かつ同僚で、一緒に論文も書かれています。また老中医の先生は愛煙家も多いです。

如心先生曰く、ずば抜けた卓識と術を持っていて、経脈流注や取穴法は全て暗記されていたそうです。

昔は「弟子に教えると師匠は餓死する」という考えのもと、自分の学術を教えないために手元を袖で隠したり、見ていない際に刺鍼するということもあったそうですが(保守)、このおかげで于先生は研鑽されたとも書いています。

日本でも「見て盗め」(偷学)という言葉は耳にしますが、医療においても果たして同じでしょうか。

 

取穴不在多而在精,针数和疗效不是一加一等于二的关系。

 

五明

❶明确诊断,病属何病

❷明确辩证,证属何因

❸明确病经,证属何经

❹明确治在何经、取用何穴

❺明确施用何术

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