ほんとく日記

六寸金鍼

王楽亭先生

近代著名鍼灸学家。河北省出身。89年の人生で鍼灸界に与えた影響は計り知れません。

 

以下『北京鍼灸名家叢書 金鍼大師 王楽亭』 鈕雪松主編 中国中医薬出版社

より先生の紹介を抜粋します。(敬称略)

 

1895年10月18日河北省香河県に生まれ、7歳時に私塾の先生である橋本閣から古代漢語を学ぶ。橋の祖父は清代の刑務官であり、当時南方の容疑者が三年の刑に服していた。手厚い配慮は受刑者を感激させ、出所時に彼は「この恩に報いたいが私には何もない。ただ我が家に伝わる鍼法だけを受け取って下さい、それは六寸銀鍼を肘関節の所から上腕に向けて臥刺することで首にできた腫物を治療するもので、薬治なしに治癒させることができます」と言った。橋家は橋本閣の代に至るまでこれを実践したことはなかった。ある日、北京の親友が帰郷した際、橋に対して頸部リンパ節結核に数年苦しまされて諸法も効果がないことを告げると、橋は友に「我が家にはこの症状に対する三代続く家伝の鍼法がある。しかし今まで誰一人医業に携わっていないため鍼具も調っていない。もし治したいのなら、長鍼を作ってくれれば弟子の王楽亭に刺鍼させよう」と話した。親友は喜び北京に戻るとすぐに六寸銀鍼を作った。橋は家伝の鍼法を、当時医学知識の全くない15歳の王楽亭に口授し、彼に六寸銀鍼で患者を治療させた。王楽亭は橋の方法で患者に数回刺鍼すると、みるみるうちに今まで効果のなかった琳派結核が治癒していった。橋の師徒に感謝の意を込めて患者はその銀鍼を彼らに譲った。ここから王楽亭は六寸銀鍼を操り、彼の「鍼灸道」が始まる。

 

その後は21歳時から2年半中国大学で法学を学んだり、京城鍼灸名家陳丹仙の子である陳粛卿に弟子入りしたり、1930年には討蒋司令部配属となったり、1967年には右派分子と見なされ労働改造として長い歳月の間医院前のトイレ掃除をさせられたりと激動の時代を生きた先生、経歴は書ききれません。

 

六寸銀鍼から金鍼へと至ったのは、「北平市衛生局中医試験時に試験官の著名鍼灸医孫祥麟が用いていたのが金鍼であった。書籍で金鍼の利点は知ってはいたものの実際に見たことがなかった王楽亭はこれに触発された」とのことです。

 

北京には王楽亭先生の弟子が作った「南王北胡」の金鍼学派の研究会と病院があります。

以下はそのURLです。

http://www.guoyizhijia.com/

私の師匠の張如心先生は王楽亭先生と同時期に中医医院に在院しており、昔話も聞かせてくれました。

気取らず、気さくで冗談好きな人間性に皆が虜だったそうです。

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